そんなに広くも無い家中を鼻をスンスン言わせながら歩き回った後で、犬がおかしなことを 言った。 「柿ピー、お客さまって一人?2人?」 「一人だが」 「ふうん」 「どうした?」 まさに野生の勘、と言うのだろうか。犬の直感は驚くべきことにわりと頼りになる。 「おうち入った時2人だと思ったんだけど、お風呂入ってにおいかいだら一人、みたい。 でもなんかそうでもないような」 「……わかるように説明しろ」 「まんまだってぇ」 「まさか、侵入者が?」 「ううん……そーゆーのともちげくて」 「はっきりしないな」 「うん、はっきりしないの」 めずらしくやたら煮え切らない。もう一度スン、と鼻を鳴らすと、犬は困惑した表 情で首を傾げた。 夕食のウィダーインゼリーを飲もうとしていたところで、百貨店の紙袋を下げた骸様がお帰りに なった。帰ったその足で自室を覗き、それから台所にいらした。 「おかえりなさいませ」 ただいまを言う前に、骸様は眦を吊り上げた。 「千種、まさかそれが夕食じゃあないでしょうね。ああ、やっぱりそうなんですね」 俺を熟知しているからなのか、それとも心でも読めるのか(どっちもありうる)(どっちもかもしれない)、 骸様は俺の返事 を待たずに結論付けた。正解だ。 「まったくあなたって人は、どうしてそんなにめんどくさがりなんですか?ほっとくとすぐに朝もウィダー、昼もウィ ダー、夜もウィダー。昨日も今日も明日もしあさってもウィダー。あなたそれでも人間ですか」 俺は黙って骸様の言葉に聞き入った。俺はそんなことはしないが、もし万が一口を挟めば、 赤く無いのに話が3倍に伸びる。 「10分で作りますから、それは冷蔵庫になおして待ってなさい。犬を呼んでくるように」 「はい」 反論は無かった。人間かどうかは議論の余地が残るとして、本題は全くその通りだったからだ。 「千種」 「はい」 「おなかが空いたでしょう。遅くなって悪いことをしたね」 「……いえ」 豊富な人生経験の賜物で(と骸様が言った)、骸様は料理ができる。骸様は人を顎で使って自分は 椅子に悩ましげに座っているような印象を持たれがちだが、実はマメに動く方だ。食べたいものがあれ ば自分で作られるし、欲しいものがあれば自分で取りに行く。(寝室の少年もその類なのだろうか) 策謀が得意だが、やりたかったら格闘もする。できることなら息をするの もしたくない俺よりよっぽど活動的だ。 「うっひゃー!!!うまそう!」 「犬、いただきますは」 「いったらきまーす!!」 「……いただきます」 「はい、よし。いただきます」 予告どおり十分で仕上がったスパゲッティなんとか(メシの固有名詞は覚えにくい)を無言で 食べ終わると、眠る少年と初対面の犬によって、彼の話題になった。 「骸さん骸さん、あのこ、なんで眠ってるんですか?」 「……犬」 咎めようとする俺を、骸様が笑顔で制した。 「いいですよ千種。別に隠すようなことでもないからね。千種は察しているようですが、 僕は彼と『契約』しようとしたんです」 やはり、あの傷は『契約』によるものだったのだ。 「契約するとどんなイイコトあるんスかー?」 犬がさっそくわき道に逸れる。それにしても、犬の言葉だけ聞いていると、英会話学校か電器屋の ポイントカードの話のようだ。 「ありますよ。たくさんね」 骸様は咎めずに付き合っている。 「ああ見えて最強とか」 骸様が苦笑する。 「いいえ。残念ながら契約の交渉が決裂しましてね。ちょっとだけ揉めたんですが、こっちの嗜虐心 を煽ろうとしているのかと思うほど弱かったですよ」 「つまんないすね」 「ええ。押し倒して上に乗って腕を抑えてちょん、でハイおしまいです。まあ、あれはあれで 趣き深いものがありました。おかげで余計な傷もつけずに済んだしね」 機嫌よく微笑む骸様の前で、犬は首を捻って悩みだした。 「すっごい金持ちだとか?めちゃくちゃ頭がいいとか!なんかの才能が?」 もはやクイズだ。 「どれも今は違います。彼はごく普通の家庭のごく普通の少年です」 「今は……?」 思わず口を挟むと、骸様が俺を見て頷かれた。 「彼は可能性の化け物なんです。これからどうなるか、僕にもわからない」 「では、彼の眠りも骸様」 「いえ、あれは彼の意思です」 「どういうことですか?」 「……契約が終了した瞬間、眠りに落ちてしまったんですよ」 「それは、一体」 「さあ。永く生きてきたけれど、こんなのは初めてで戸惑っています。そうだな、僕を困らせ たいのかも知れない。困った人だ」 「魔性のなんかれすね」 なんかってなんだよ。 「なんなんだろうね、彼は」 最後にぽつりと呟いた言葉は、多分独り言だったろう。しかし、それは滅多に見えない骸様の本音が 現れている気がした。 6 作話トップ |