玄関のインターホンが鳴る。
 来た。
 受話器を取ることはせず、俺はそのまま玄関に向かった。ドア の向こうに立っていたのは、どの予想とも全く違う人物だった。ポーチには喪服の ようなスーツの幼児が居た。ご丁寧にネクタイまで黒だ。無表情にこちらを見上げている。
「チャオ」
 子どもらしいかわいらしい挨拶だが、帽子を上げる仕草が嫌に気障で、妙に様になっている。 そして、その態度や服装を差し引いても、どこか子どもは異様だった。表情に出さな いようにしながら面食らって沈黙していると、子どもの無表情が崩れた。 黒目がちな大きな 目をこちらに据えたまま、そいつは口だけで笑って見せた。およそ年齢にふさわしくないシニカルな 笑みは、生意気とか、こまっしゃくれたとかの言葉が追いつかないほど似合った。
「うちのアホが世話になった」
「……では、お前が」
 そこで突然気付く。子どもの異様さの原因は、その幼さと、その完璧さのずれだ。完璧さとは、 たとえば整った造作であり、発音も抑揚もパーフェクトな発話であり、居るだけで相手を圧倒する 存在感だ。
「ああ。迎えだ」
 ただ、その声だけは、年齢相応にどうしようもなく、幼く甘い。
「……入れ」
 背中を向けると、律儀にお邪魔します、と言う声が追ってきた。どこかで聞いたこと があるような、しかし同時に彼しか作れないと思わせる、不思議な響きだった。



「んなもん、てめーの足で歩かす」
 廊下を行く途中、心を読んだかのようなタイミングで幼児が口を開いた。
「どういうことだ?」
 振り返ると、後ろの子どもは例のシニカルな笑顔をしている。
「このちっちゃくてかわいいいたいけな俺が、あの粗大ゴミを運べる かどうか心配してくれてるんだろ?」
「なんで……」
 わかった、と言う前に、子どもの言葉が被った。
「常識的に考えて不思議だろ、そこは」
「はあ……」
 常識的という言葉を使われるのが妙に癪に障ったが、深く考えるのはめんどくなって俺は別の ことを聞いた。そちらのほうがより気になっていたのもある。
「起きるのか?」
「ああ?眠ってるだけなんだろ?」
「でもずっとだ」
 そして多分、最後の手段を除くと、骸様が手を尽くしても目覚めなかったのだ。
「起きる」
 静かだが自信に満ちた声だった。いや、自信と言うよりは確信、まるで未来を知っ ているかのような口ぶりだ。
「……そうか」
 もうリビングはとっくに通り越して、俺たちはあの扉の前だった。
「ここにいる。勝手に連れて行け」
 踵を返して黒い子どもとすれ違う、まさにそのタイミングで、そいつはまたも口を開いた。
「待て」
「なんだ」
「このままで済むと思ってるのか?」
「さあ……」
「随分無気力な奴だな」
「だってお前のすることなんてわからない。お前は俺じゃないんだから」
「いいこと言うな、お前」
 子どもは口笛を吹いた。舐めた反応だが、不思議と腹は立たない。
「本来ならズドンと一発いっとくとこだが、テメエは加害者であると同時に 恩人だからな。プラマイゼロでチャラだ、今回は。感謝しといてくれ」
 驚いた。その後、滑稽になった。我慢できなくて、思わず笑う。
「何がおかしい」
  「ずいぶん、甘い」
「ああ。俺は優しいんだぜ」
 偉そうにふんぞり返った子どもを見て、俺は更に笑った。普段使わない表情筋が、 軋みそうだった。
 ああ、『彼』は、優しい世界で生きているのだ。 電話に出た、呑気そうな女の声を思い出す。(今から思えばこの子どもに丸め込まれたのだろう) 息子は休みを利用して友達と旅行に行っていると信じ込んでいた。
「ところで」
「なんだ?」
 しかし、俺の笑いはすぐに凍りついた。
「てめーのご主人様によろしくな。二度とこんなおイタするんじゃねえって言っとけ」
「お前……知って……」
 今この家には俺と『彼』しかいない。連絡も俺がして、浚った子どもを返すとだけ言った。 俺が犯人だと思われただろうし、そう思わせようと仕向けていた。
「まあな」
「……そうか」
 しかし、最初から全部こいつにはお見通しだったようだ。つかまるか、それ以上のことになるか 覚悟していたのに、拍子抜けにも程がある。
「さっさと連れて行け」
「お別れはしなくていいのか?」
「ああ」
 そもそも『彼』と俺は、出会ってすら居ない。
「寂しい話だ」
 また、抜群のタイミングだ。単純に俺の言葉への返答なのだが、内心を 見透かしてのものにも聞こえる。
「じゃあ」
「おう。……ありがとよ」
 俺は部屋に戻り、襖を閉めて座り込んだ。



 しばらくすると、リビングの方から騒音が聞こえてきた。物が壊れる音、何かが落ちる音、そして誰かの怒鳴り声。 初めて聞く声だ。子どもっぽい発音の、子どもっぽい抑揚の、子どもっぽい内容の、子どもっぽい声だ。
 その声が悲鳴に変わり、弁解になり、文句になり、愚痴になって、軽い足音と一緒に俺の部屋の前を通っても、俺は 座り込んでいた。




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