10.
「十代目、十代目、十代目、十代目」
 それしか言葉を知らぬかのように連呼する。髪を振り乱し、血走った目をして獄寺隼人は彼を押しとどめようとする人間たちを跳ね除け、突き飛ばし、 蹴り倒した。自由になった体で走り出す。
「おいおいちょっと落ち着けよ!」
 口では獄寺をたしなめながら、山本武は一階分の高さの吹き抜けを飛び降りて彼を追い抜いた。
口元には笑みが浮かんでいるが、その真っ黒な目は目標以外の何も映していない。
 彼らの目標はつい先ほど回収した緊急脱出用ポッドだ。その周りにはすでに、数多くのスタッフが蟻のように群がっている。 どの顔も多かれ少なかれ、獄寺や山本と同種の追い詰められた顔をしていた。
 医療班として呼ばれたシャマルは、それをひとり醒めた目で眺めていた。彼らの主が 連絡が途絶えたまま七日も宇宙をさまよったのだから、その狂乱は理解できないでもないが、 外部から見れば異様なことも事実である。第一、ポッドの中の少年が生きていて、体温心拍数共に正常なのはのは、外部からのスキャン で確認されているのだ。冷静な人間はいないかと見回して、少し離れた場所に群れるのを好まぬはずの少年や、 他の組織の長までいるのに気づいて更にうんざりとした。
「十代目!」
「ツナ!」
 シャマルの内心など構わずに、少年たちも大人たちも熱狂している。よく揶揄されるように、寝るだけの幅しかない ポッドは確かに棺に似ていた。泣き顔の人間が取りすがっているから、なおさらだ。口に出したら 袋叩きにあいそうなことをシャマルは考えた。
 開閉操作に成功したらしい。かすかな音と共に、ポッドのハッチが開き始める。

 その隙間から、濁った赤い液体が溢れ出した。

 一瞬で騒がしかった場が静まり返る。
「どけ……!」
 立ち尽くしたスタッフをさっきの獄寺のように押しのけて、シャマルは走った。 医者としての反射が、彼を走らせていた。
 ハッチが開いていく。開くほどに、零れ落ちる赤い液体の量は増えていく。いまや扉以外の 部分は、いく筋もの流れで真っ赤に染まっていた。生臭い錆の匂いがあたりに漂いだした。
 そして扉は完全に開いた。ポッドはふちまで血に満たされていた。その中に、人が二人沈んでいる。
「坊主……?」
 肩まで血につかった子どもに、シャマルは呼びかけた。もう一人の名は呼ばない。
「……」
 一目で死んでいるのがわかったからだ。
 生存者は、返事をしなかった。俯いていて、顔が髪で隠れている。
その顔も、髪も、血で赤黒く汚れていた。茶色い髪から赤い雫が滴って、下の血溜まりに落ちる。
「十代目!」
「ツナ!」
 さすがに側近中の側近だ。少年たちはいちはやく正気に返って彼らの主の、 血風呂に漬かった子どもの名を呼んだ。
   「……おい、ダメツナ」
 いつのまにか、黒衣の赤子が棺のすぐそばに来ていた。常とまったく変わらぬ静かな声が、 彼を呼んだ。綱吉の肩が、かすかに動く。
「……リボーン」
 初めて発した言葉は、彼の師の名だった。
 ゆっくりと、顔が上がる。青ざめた顔は、赤く彩られている。動いたことで、髪から 滴った血が頬を伝い、また血の中に落ちる。
「俺はザンザスを倒す」
 壮絶な有様だが、彼の目は至って静かだった。状況からすると、静か過ぎるほどだ。誰の手も借りずに、沢田綱吉は立ち上がった。上に載っていた骸が、ずるりと血の海に沈む。
「そうか」 
 師は至極冷静な声でそれだけ答えた。
 しかし、静かな宣告は 、その場に居た者達に熱狂を呼んだ。獄寺隼人が叫ぶ。
「十代目万歳!」
綱吉はこの場に居るもの全ての王なのだ。歓声が上がる。
 落ち着きを取り戻し、一転して祝いの場になった空間を相変わらず醒めた目で観察して、シャマルはまた 不謹慎なことを考えた。開いた扉、喜びの声、そして、真っ赤な血、取り上げられる 子ども。

 まるで今、彼が誕生したかのようだ。

 






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