みっともない姿を綱吉に見せて、とても顔向けできない。
 はずなのに、僕は性懲りもなく、坂へ向かっていた。理由は自分でもわからない。 会いたいからだなんて、自分に対してでも言える筈がない。苛々しながら早足になっていると、声をかけられた。
「おや、こんにちは。奇遇ですね」
「僕は会いたくなかったけどね」
 大変不愉快なことに、あの男だ。
 僕の行く手に、毒物みたいな鮮やかな色の髪を春の日差しにピカピカさせて突っ立っている。坂へ向かう道 のりの、どうしても通らなければならない道の上だった。
「ひどいですね。傷つきますよ」
 嘘付け。
 むしろ自分で言うなら傷つけ。
 男はにやにや嫌な感じの笑いを浮かべている。どうやったらそんなに笑えるのか全く 理解も共感も出来ない。やばいものでもキマッてるんじゃないだろうか。 
「ところで、ここの気候って、どこか他と違っているのでしょうか?」
 男の言動は、それより更にわけのわからないものだった。
「どういうこと?別段特殊な地域じゃないと思うけど」
「本当に?」
 男は、笑みを深めた。頬の肉が上がって、とりすました顔がどこか獣じみたものに変わる。 ぐちゃぐちゃに殴ってやりたくなる種類の顔だ。
「何が言いたいの。回りくどいのは好きじゃない」
 頬骨の上にトンファーをぶつけるタイミングを狙いながら、表面上だけは穏やかに聞いてやる。  さあ、戯言を抜かせ。僕をもっと怒らせろ。
「いえね、桜が」
 また桜だ。桜、桜、桜、どいつもこいつもバカの一つ覚えだ。
「僕が着いたとき、満開だったのに、今日も満開なんですよ」

 心臓が、嫌な音を立てた。
 体の中で、何かが、ざわざわと動きだした。
 動揺が音もなく広がっていく。

「何が……言いたい」
 僕は、さっきの台詞を繰り返した。だが、僕はその先に続く台詞を既に知っていた。
 なぜなら、桜は。
「桜って、潔さの代名詞ですよね?咲いたと思ったら、あっと言う間に散る」
 そう。そのはずだ。しかし。
「……」
 この街の桜は。

「この街の桜は、散らない」

 男の言葉はやはり、僕が予想した通りのものだった。
「今日も昨日も一昨日も昨一昨日も、満開のまま、一向に散る気配を見せない。実に潔くない」
 おかしな男は笑い続けている。まるで、笑顔の面を付けているかのようだ。
「そのくせ、枝に着いたままで色褪せることもない。さっき開いたばかりのような、瑞々しい姿だ」
 かくりと首をかしげると、言った。
「どうしてなんでしょう?」
「僕に聞くな」  そのまま挨拶もせずに踵を返す。こいつは駄目だ。これ以上話していたら、おかしくなる。 理由はないが、本能に近いものが、ガンガン警鐘を鳴らしている。
「ああ、それと」
 やはり空気を察しない男だ。もしくは、嫌がるのがわかってわざとやっている。たぶんそっちが 正解。
「あなた、やっぱり桜、お好きなんじゃないですか」
 こいつとはもう口もききたくない。無視しても、こいつは気にせずこう続けた。
「街の真ん中にある山、あそこの坂は本当に桜が美しい。あなた、毎日通っているでしょう」
 これ以上、聞きたくない。 「……桜は嫌いだ」
 いや、聞いてはいけない。警鐘はすでに、頭一杯に響き渡っている。
「なら、どうしてあそこへ行かれるんです?毎日、毎日」
「……それは」
 綱吉が居るからだ。
 僕と綱吉は、あの坂で出会った。
 しかし。


 どうして僕は、あの日、あの坂へ行ったんだっけ?





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