「こんにちは、ヒバリさん」
 綱吉の元にも客が来ていた。綱吉は桜の下に寝そべっていて、客はそのうすっぺらい胸の上に乗って いた。
「……猫?」
 遠目には黒くて丸くてつやつやした毛玉か何かに見えた。近くで見ると大きな黒猫だった。
「はい」
 とぐろを巻いた猫は、頭上で僕らが話していても、全く気にせず寝ている。 間近で見ると、綱吉の右手のひらを枕にしていた。
「君の?」
「とんでもない!そんなこと言ったらこいつ怒りますよ」
「野良ってことかい?」
「ああ、ええ、まあそうです」
 視線を泳がせ妙に言いよどむ。まあ、はっきりしないのは彼の常だ。
「それにしちゃあ随分と懐いたものだね」
 前足で鼻をを隠している大きな猫の、春の日差しに黒々と照りかえる毛皮を見ていると触ってみたくなった。 きっと見た目どおりの、すばらしい手触りがするに違いない。
「危ない!」
 だけど、手を伸ばした途端綱吉が叫んだ。
「何?」
「こいつ、触ると怒るんです。噛んだり引っかいたり叩いたり」
「君は触ってるじゃない」
「自分から触る分にはいいらしいんです」
「ワオ。いいね」
「はあ?普通あきれません?」
「自由闊達じゃないか」
「ただジコチューのワガママ……あ」
 おもむろに猫が起き上がった。彼は実に優雅な仕草で綱吉の鎖骨に前足をついて伸びをし、ついでに大きなあくびをした。
「あ、い、あいたたた」
「?」
「爪立てられて……これがまた赤くなるけど血は出ないくらいの絶妙な力加減なんです」
「猫ってすごいね」
「そんな感想なんですか……悪かったよ」
 後半は猫に向けたものだったらしい。首を伸ばして綱吉の鼻に自分の鼻をくっつけてから、猫は胸から降りた。背中、前足、後ろ足の順でもう一度体を伸ばした。
「やっとどきやがった……ああ、重かったあ」
「嫌なら下ろせばいいのに」
 確かに猫が前足を置いた辺りは、いくつかの赤い点が出来ていた。ぼんやりそれを眺めていると、足元で猫がにゃあと鳴いた。
「やあ、こんにちは」
 こちらを見上げる目も真っ黒だ。
「彼、どこもかしこも黒いね」
「多分腹の中も黒いですよ、いててて!痛いって!」
 小動物に向ける言葉にしては、さっきから随分棘がある。黒猫は伸び上がって綱吉の膝に爪を刺すと、ゆっくりと歩き去った。 長い尻尾を天に向かって伸ばした後ろ姿は、実に堂々たるものだ。
「行っちゃったね」
「きままな奴ですよ。今日も久しぶりにひょっこり現れたと思ったら、あれだもの」
「久しぶり?」
「ええ。旅してるそうです」
「珍しいことは重なるのかな。僕は変な客に会ったよ」
 この街によそものが訪れるのは、確かに珍しい。しかし、 どうしてあの不愉快な狂人のことを話そうと思ったのだろう。気が付けば言葉が唇を滑り落ちていた。
「客?」
 綱吉が首を傾げる。あまりに無防備な表情に、ああ注意を促さねばならないからかと自分の行動に納得した。
「頭のおかしい旅行者さ。12色絵の具の青みたいな真ッ青な頭してた」
「まっさお……随分派手ですね」
「全くね。とても正気の沙汰とは思えない。綱吉も気を付けなよ」
「気をつけるって、何を」
「とりあえず、会っても近寄らないこと。話し掛けないこと。いや、会わないのが一番いい」
「最後のは気をつけようがないじゃないですか……出会いなんて、偶然なんだから」
「春はああいう頭のあったかいのが増えるから、やだね」
「……なんで春なんですかね」
「さあ。ああ」
「?」
 僕は頭上を指差した。もちろんそこには、爛漫と咲く桜しかない。
「あれのせいじゃない?」
「まともな人間でも、あれが咲くとちょっとおかしくなるだろう。なんか出してるんじゃないの、あれ」






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