その日、一人の客があった。
 小さな駅には屋根も壁も無く、プラットホームは土台にコンクリートを乗せただけだ。もちろん 無人駅で、駅員はおろか電車を待つ人すらいない、本当の無人駅だ。
 二両編成の鈍行電車の扉が軋みながら開いて、降車したのも青年一人だった。
 青年はトランクを足元に置くと、のんびりと大きな伸びをした。
 何がそんなにうれしいのか、にこにこと笑いながら辺りを見回し、遠く近くあちこちに見える桜の 花に、目を細める。
「ああ、見事なものだ。とってもきれいですね……」





「こんにちは」
 振り向くと、旅行鞄を持った若い男が、上品に会釈をした。一見非の打ち所の無い態度だが 直感した。こいつは嫌いだ。
「何。君、誰」
 どことは言えないが、こいつはどこかおかしい。
「僕は六道骸と言います」
 ムクロ。死体の骸だろうか。名は体を表すと言うが、お似合いのおかしな名前だ。
「……雲雀恭弥」
 でも、名乗られて返さないわけにもいかない。
「雲雀、恭弥。雲雀さん。雲雀くん?雲雀ちゃん?」
 やはり気に障る奴だった。
「あんまり呼ばないでくれる」
「おやまあ、つれないですね。まあいいでしょう。宿を探しているのですが、どこかご存知ありませんか」
 この街のひとなんでしょう、とムクロと言う男は何故か笑いながら言った。
「泊まるつもりなの」
「ええ。しばらくはね」
「……」
 気に食わないけれど、僕が禁止できることでもない。街に一軒だけある、古びたホテルの名前を告げてやって、さっさと話を 終わらせることにする。
「ありがとうございます」
「じゃあね」
 しかし、向こうは逆の気分だったらしい。やはり気が合わない。何よりなんという空気の読めない奴だ。
「ねえ、僕この街初めてなんですけど、とっても桜が綺麗なんですね。町中の至るところに桜が植 えられている。見事なものだ」
 桜桜さくら。こいつも桜に頭をヤられたバカ共の一人なんだろう。ますます不愉快だ。
「誰が世話しているのかな。桜はあれでいて、手のかかる木なのに。やはり、地元のみなさんが大事に守ってらっしゃるのでしょうか」
「知らない」
「この街で一番の桜の名所って、どこなんでしょうか」
 桜のアーチに飾られた長い坂と、そこで微笑む綱吉が浮かんだ。
「……知らない。桜はあまり好きじゃないんだ」
「そんな、ここに住んでいるのにもったいない!」
  「僕の好き嫌いなんてキミには関係ないでしょ。ほっといてくれる。なに、キミ、桜見物に来たの」
「いえ、それはただの過程です」
 じゃあさっきまでの浮かれ具合はなんなんだ。本当におかしな男だ。どこかの閉鎖病棟から逃げ出してきたのかもしれない。
「ずっとずっと欲しかったものがやっと手に入りそうなんです」
「別に聞いてないよ」
「僕が言いたいんだ。アア、この期待と不安ったら!僕もうどうしていいかわからないんです」
「とりあえず足元と頭上と前方に気を付けたほうがいいんじゃないの」
「クフフ、ありがとうございます」
 嫌味も通じないと来た。馬鹿なんだろう。
 それにしても、気持ちの悪い笑い方だ。





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