「……やあ」
「……こんにちは」
 一瞬ぶつかった視線は、次の一瞬には逸らされていた。まるで出会った頃のようだ。とがめる気 にはなれなくて、僕は無言でいつもの場所に座った。いないかもしれないと思いながら、僕は今日も 眩暈を堪えて彼の居る坂へ来ていた。
 はたして彼は、居た。いつもの桜の根元に、いつものように腰を下ろして、いつもと同じ茫洋とした顔で。 昨日の異様な興奮状態は去ったらしい。今から思うに、あれは彼の混乱を示していたのかもしれない。
 綱吉は黙っている。僕も黙っている。彼と会話せず、従って視線が交わることが無ければ、目に 入るのは桜ばかりだ。こぼれ落ちたひとひらが、地面までたどり着くのを見送ってしまって、思わ ず溜息を付く。
 その溜息が合図だったかのように、綱吉が口を開いた。
「なんであんなこと、したんですか」
 いつものより更に小さな声は掠れ、微かに震えていた。綱吉の方を見るが、視線は合わなかった。
失礼なことに、正面の一点を見つめてこちらを向こうとしない。苛立った。
「……したかったからだって、言ってるでしょ」
「だから、そんなの理由になってません」
 見ないどころか、綱吉は更に顔を背けていた。ねじられた首は片手で折れそうな頼りなさだった。
無防備に急所をさらし、その上視線まで外して平然としている姿に、腹の中が正体不明の激情で カッと熱くなった。
「わからないの?」
 じりじりとはらわたを焼く熱を堪えつつ、僕は綱吉に聞いた。
「本当にわからないの?」
   苛立ちが高まっていく。
「わかるはず、ないでしょう……」
 初めてこちらを向いた綱吉の顔が、僕を見るなり怯む。それが引き鉄になった。次の瞬間には、左手 が胸倉を掴み、右手が頬を殴っていた。綱吉の体があっけなく吹っ飛ぶ。仰向けに倒れた隙を逃さず、 馬乗りになって動きを封じる。抵抗する余裕も無く全身を硬直させた綱吉の、辛うじて顔を覆った腕を掴 んで引き剥がし、その顔を覗き込んだ。顔全体の筋肉を使ってまぶたを堅く閉じていることが、目障りなことこの上ない。
「君が好きだからに決まってるじゃないか!」
 叫ぶと、音がしそうなスピードで綱吉が目を開けた。
「……はい?」
 真っ青だった顔が、ゆっくりと赤くなっていく。
「ヒバリ、さん? 今、なんて?」
「……もう言わない」
 彼の上からどいて、僕は身を翻した。
「もうここへは来ないから、安心して」
 そのまま行こうとすると、裾を引く微弱な力があった。
「なんだい?」
 振り向くと、綱吉はまた俯いて、立て膝の間に顔を伏せていた。
あちこちはねた頭のてっぺんが見える。
「お、お、お、オレ、オレ」
 オレ、と繰り返す声がだんだん小さくなっていく。



「………………オレ、も」
 長い時間の後の最後の言葉は、蚊の鳴くような音量だったが、僕の心臓を止めるには充分だった。






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