散り敷いた桜の薄紅色まで見えるような、月の明るい夜にあってもその姿は漆黒だ。 一匹の黒猫が、いつのまにか倒れた綱吉の前に座っていた。 その唇に黒い鼻が触れるほど近づいて綱吉の顔を覗き込んでいる。 声は確かに、そこから聞こえた。 「なに?」 「二度手間は嫌いだ、繰り返させんじゃねえよ」 しっとりと濡れたように光るその真っ黒な毛皮には覚えがあった。 「綱吉の黒猫……いいや」 瞬き一つで、違う記憶を探し出す。かつての僕は、何度も彼にまみえたはず。 いつも綱吉のそばには華やかな影のような姿があった。 「赤ん坊だね?」 「譫妄は治ったみてぇだな、ヒバリ」 黒猫の輪郭が緩んで、闇がぶわりと広がった。 「お久し振りですね、遅かったじゃないですか」 「ヒーローは遅れて現れるもんだろ?」 一瞬後には、そこには一人の幼児が立っていた。背丈は僕の半分もない癖に、 どこにも子どもらしいところのない、それどころか人間らしさすらも希薄な、異様に整った 姿の幼子がそこにいた。口の端を歪めて、シニカルに笑う姿が堂に入っている。 その姿も六道同様、かつての僕が知るものだった。 「どうしてこの蛆虫一匹潰すのを邪魔するんだい? それとも君が遊んでくれるの?」 「よかったじゃないですか、命拾いしましたね」 「君…」 「なんです?」 「だからやめろつってんだろ。てめぇらの耳はちゃんと穴開いてんのか? あァ?」 いつのまにか子どもは二挺の拳銃を構えていた。右は僕に、左は六道に向けられている。 「なんなら俺が開けてやったっていいんだぜ」 彼にそう言われれば、とりあえず止まらざるを得ない。僕も、もちろん六道もだ。 人間らしさなどなくて当然だ。 「いくらあなたが相手でも、綱吉君は渡しませんよ……綱吉君の先生」 なぜなら彼は人間などではないのだから。 「いいか、てめえらが殺しあおうが愛し合おうが俺の知ったこっちゃねえ」 綱吉を育て、王にしたのは彼だと言う。黒衣の幼子、の姿を取ったもの、の本来の姿も正体も、僕は知らない。きっと誰も、教え子の綱吉 ですら知らないだろう。ただ、恐ろしく強い力を持ち、想像を絶するほどの長い時間を生き、人間たちに崇拝される 一方、恐怖そのものとして忌避されるものなのだけは確かだ。 「でも今こいつのそばでどすぐろい闘気撒き散らしてみろ、本当に死んじまうぞ。 それともお前らはそれくらいのこともわからない馬鹿なのか?」 「生徒思いですね」 六道が苦笑して軽口を叩いた。武器を投げ捨てて両手を挙げている。 「ああ。こんなんでも一応教え子だからな。優しいだろ?」 鮮やかな手さばきで拳銃を黒衣の胸にしまう。 「連れて行かせてもらう。異論はないな」 口ではそう言っているが、僕らの同意を得る気などさらさらないのだろう。意識のない綱吉の体を 抱き起こすと、闇そのもののような腕で頭を抱いた。 「全くダメツナが。手間かけさせやがって」 かすかに甘さの滲んだ声につられて、僕は言ってしまっていた。 「待って」 「ああ?」 予想済みとでも言いたげなにやにや笑いに、即座に後悔する。だが後からするから後悔だ。 「……綱吉は死なないよね」 「さあな」 横目でちらりと僕を見て、またあの嘲笑。不思議と腹は立たなかった。 「こいつ次第だ。わかんねえよ。このままイッちまうかもな」 「まあ、だが、こいつはこれでも桜だ……無数の生と死を繰り返すことで」 着いていき損ねた声だけを残して、二つの姿は掻き消える。 「永遠となるものだ」 十七 作話トップ |