綱吉のまぶたが唐突に見開かれた。ガラスみたいだった瞳には驚愕と僕が映っている。
 瞬間沸いた喜びを僕は心底嫌悪した。
「どうして」
 問う声は震えている。明らかに動揺した姿に僕はまた狂喜し、性懲りもなく不愉快になり、それか ら全てを諦めた。
 ああ、もういいよ綱吉。





 大地の上にも、そこに倒れた綱吉にも、ひたすらに微かに赤い花びらが積もっていく。 多分、綱吉に覆い被さる僕の背中にも。この花の一番の見せ場は、満開のその時よりもこうして 無残に散る姿なのかもしれない。派手に大げさに見せ付けた栄華を軽々と捨て、地を這い泥に塗れ 踏みにじられる無様を惜しみなく晒すのは、見るものに無常を突きつけてるのではないだろうか。
「生まれた時から僕の欲求は破壊だけだった」
 平然と僕に組み敷かれる綱吉を見て、ふとそう思った。
「ええ、だから」
 絶対者の無関心をどこへやったのやら、まったく弱弱しい声で綱吉は問いを重ねようとした。 疲労と困惑が顔を青くしていて、まるで見た目どおりの人間の少年のようだ。もうそんな言葉は聞きたくない。 僕は無視して自分の音で遮った。
「弱いものは苛立つから強いものは楽しいからたくさんあるならいらないから 一つのものは惜しいから醜いものは醜いから美しいものは美しい内に。全てのもの を平等に愛も憎しみも喜びも悲しみもなく壊した。壊したかったから」
「だから俺も……」
 もう一度遮る。聞いてなどやるものか。
「だから君も壊そうと思った」
「じゃあ…」
 聞かない。嘘ばっかりつく君の言葉なんて。
「でも、できなかった」
「確かに俺とあなたは五分でした。でも今は違うでしょう? もう殺せるでしょう?」
 無邪気に混乱している綱吉の、その細い首に食らいついて体重をかけてへし折ってやりたい。でも、できないんだ。だって。
「……僕は君を壊したくないと思ってしまった、君がどこにもなくなってしまうのが、やだ ったんだ。なら」


「僕が壊れるしかないでしょ?」


 当然の帰結、悔しくても腹が立ってもしかたがないことだ。
 しかし、綱吉は何故か驚愕して眦がさけるほど大きな目を開いた。その瞳で僕だけを凝視されて、いたたまれな くなる。
「……この感傷には固有の名前があるのかな。まあ、知りたくもないけれどね」
 名前も知りたくもないし、そもそもこんな気味の悪いもの自体を知りたくなかった。でも、知ってしま ったから、もういい。
「さあ、正直に吐いたよ。もうどうしてはいらないよね? 君の番だよ。君はどうして嘘ばっかりなの。どうして僕を殺さないの」
 もういいんだよ綱吉。桜にならって潔く諦めよう。
「あの日、君は僕に勝った。当たり前だよね僕が勝たせたんだから。なのに、こんな手の込んだ檻まで作って、僕はともかく 自分まで弱らせて。人の事情なんか呑気に聞いてるけど正直今死にそうでしょ。馬鹿じゃないの。自殺したいなら一人でやってよ、僕は君を殺したく ないんだから」
 一息で言ってやると少しは気が晴れた。

 すると。

「わからないんですか」

 綱吉が、笑った。

 青褪めた小さな唇を微かに歪ませた笑みはまたたくまに顔中に広がり、顔をくしゃくしゃにして笑い出した。
「本当にわからないんですか」
 繰り返し、自分の言葉に更に笑う。組み敷かれた体をよじって笑う。
「わかるわけないじゃない」
 笑いすぎて、細めた目元に涙が滲んで来た。自分の手でそれをぬぐい、手の甲の花びらと泥が移ったのを見てまた笑った。 笑って笑って笑って笑って笑いすぎて泣きながら、綱吉はしゃくりあげる合間に、言った。


「あなたが好きだからに決まってるじゃないですか」


 呆然とした僕の脳に、綱吉の言葉だけが流れ込んでくる。
「俺は死にたかった。あの日桜の下で、あなたに殺されたかった。それくらいには俺はあなたが好きなんです」
 血と泥と自分のかけらに塗れて止まらない涙に加えて鼻水まで流した汚い顔で、それでも綱吉は笑っていた。
「ありがとうございます、ヒバリさん」
 まるで自分がしあわせであるかのように、笑っていた。
「自分のエゴであなたを殺したくなくて、俺の都合のいい世界作って、よりによって誰より 自由なあなたを閉じ込めて、最低です。でも、それでも、あなたと過ごせて嬉しかった。この町は俺の夢です。ただの夢だ。 だから、虚ろな嘘なんだって、知ってたけど……」
 自嘲に笑みを曇らせ、それでもなお笑う。
「あの日あなたがキスをくれて、嬉しかった。好きだって言ってくれて、嬉しかった……それだけで、死んでもいいと思えた。 この世に生まれた意味なんて、いらなくなった。夢でも嘘でも幻覚でも願望でも良かった」
 狂ったように馬鹿みたいに笑っていた。
「ヒバリさん、ヒバリさん、好きです。俺はあなたが好きなんです。だから、しあわせです」


 そして綱吉は、微笑んだまま再び目を閉じ、そして二度と開きはしなかった。








十五

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