薄紅色は、空から地にそっくりそのまま移った。ついさっきまで大空を、 そして今は大地を覆い隠している。死に向かってのみ歩もうと、それはただ美しい。 しかしその美は一瞬で失われるものであり、後には醜い骸が残るのみだ。
「無残だね」
 一歩。歩けば、見上げるばかりだった桜を踏みつけた。軽く体重をかけるだけで、それは汚れ、 ちぎれ、たやすく美を失ってしまう。なんて儚くて、脆弱な命なんだろう。弱いものは嫌いだ。

 眩暈は消えつつあった。
 



「いいえ」
 目だけを上げた彼の視線に射抜かれた瞬間、恍惚が背筋を駆け抜けた。その 眼差しの力!
 儚さも、脆弱さもかけらもない、強くて美しい僕の獲物。
彼は眷属たちの骸を両の足で踏みつけてまっすぐに立っている。 その姿に悲しむ色は毛筋ほどもない。物言わぬ、王の加護を失って賜ったその死に際しても、 悲鳴一つ上げないしもべたち。その死体の山の上に、彼はなお君臨していた。
「何が違うのさ」
 食いついて噛み千切る瞬間を想像するだけで、唇が乾く。舌で湿らせ、会話で興奮をまぎらわす。
「何も無残ではありません。桜は、花は必ず散るのですから」
「なら、どうして時を止めた。永遠の三月など、正気の沙汰じゃないね」
 また、怒りが増し、すぐに高揚に転化した。 「……ええ」
 両手を体の脇に垂らし、ごく何気ないふうに立ったまま、彼は戦闘体制になっていた。 体の中で飼う劫火を、瞳からのぞかせている。
 それを真正面から浴びる快楽は、他の何とも比べ られない。
「あなたの言う通り、俺が間違っていた。改めます」
「へえ?」
「そのために、この世界を解きました。さあ、おしゃべりはこのくらいにしませんか。
……始めます」
 唇の端が自然と上がった。




 トンファーの第一撃は軽く避けられ、今度は踏み込んだこちらが防戦に回る破目になる。殴打を受けないがを姿勢を崩さない、 ぎりぎりの範囲で体を鎮める。綱吉の拳が空を切った。
 足のばねを使ってそのまま反撃に移るが、綱吉はすでに間合いの外だった。 後ろに飛んでいた彼の懐に、準備を整わせないで突っ込む。
「?!」
 目の前を、薄紅の雨がよぎった。遠近感が狂い、眩暈が脳を支配する。
 危ない、と思った時には、もう後ろを取られていた。
「……っ!!」
 急所はどうにか免れたが、一撃食らった腕から焼けるような痛みが広がる。違う、本当に焼けていた。
 綱吉はすさまじい力を持つ精霊ではあるが、今模している姿は小柄で華奢だ。卓越したセンスと直感の力で補ってはいるが、 やはり肉弾戦では不利。しかし、それをゼロにして余る武器を持っている。
 炎だ。綱吉の拳には、緋色の炎が宿る。悪しきものを浄化する、地獄の劫火だ。
「ぬるいね。やる気あるの」
「……」
   熱は傷から徐々に広がり、体を侵そうとしている。さっさとケリをつけないと、危ない。だけど それは、今まで力を使い続けていた彼も同じはず。五分だ。痛みを得て尚更心が躍る。
「休憩している暇があるんですか」
 何もかも心得た気になっているのか、随分とまた小憎らしいことを言う。だが、全くその通りだ。休んでいる暇などない 。休むなどもったいない。湧き上がる高揚に任せて僕はもう一度地を蹴った。そして一撃、二撃、 しかしどれも、かすりはしても致命傷には至らない。こちらも同じ。
 しばしの攻防の後、交わし損ねたトンファーを綱吉のグローブが掴んで止めた。 拮抗した力で押し合いながら、初めて間近でその目を見た。
 戦いのさなかにあっても、その瞳は透き通っていた。闘志は見えるが凍てついた炎だ。 淡々と冴えていて、こゆるぎもしない。
 突然、その目が微かに動いた。ほんの少し、この近さでこの僕が凝視せねばわからないほど、 微かに。
 ぶれはすなわち隙だ。
 脳から勝機の判断が先に来て七割、不審が僅かに遅れて来て三割、僕は七割に従って綱吉 の手を力技で跳ね飛ばし、三割の不審を無視して迷いのない一打を打ち込んでいた。
 渾身の一撃が決まった。

 小さな体が、崩れ落ちた。






十三

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