春は嫌いだ。特に桜の頃は。 春に日本を訪れる外国人は、あまりの桜の多さを異様に思う者も多いらしい。ソト から来た者の目には、確かに異様に映るだろう。桜の季節が訪れれば、視界のそこかしこに輪郭のぼやけた 、桜色としか呼べない薄紅が映り、まるで空気までもその色になるようだ。桜の下で誰もがどこか浮かれ、咲い た散ったに一喜一憂する。馬鹿馬鹿しいこと、このうえない。 春は嫌いだ。特に桜は嫌いだ。桜も、桜に狂う連中も、みんな嫌いだ。桜の季節。それは、僕にとっては、 醒めない悪夢の中に居るようなものだ。 桜は、嫌いだ。 長い坂の途中で、一際強い眩暈に襲われて、僕は立ち尽くした。無様にふらついていないことを強く願うが、そ れを確認するすべすら、今の僕にはない。本当、忌々しいことこの上ない。ほんの少し視線を上げれば、この僕を こんなに不快な状況に貶める元凶が見える。更に不快なことには、例え見たくなくたって、長い坂に等間隔に植えら れているソレを、坂を登る僕は見ざるを得ない。黒っぽいごつごつした幹に、無数の小さな花を付ける落葉樹。バ ラ科か何か。多分じゃなく、この国で最も親しまれている植物。桜は、今を盛りと偉そうに咲き誇っている。忌々 しい。 何故か、桜を前にすると体が変調をきたし、使い物にならなくなる。具体的な症状は、倦怠感、意識の混濁、 疲労感。発熱することもある。それから、一番酷いのが、眩暈。これが始まったら最後、何もできやしない。それ どころか、酷いときは自分が立っているか座っているかもわからなくなり、時折は記憶の断絶すら起こるのだから、 全くもって情けない、自分でなかったら、いや自分であっても噛み殺してやりたい。だから、僕は、桜が大嫌いだ。 みっともなく突っ立っていると、突然、眩暈が強くなった。足がふらついたのが周囲の景色がぐるぐる回り出す。坂も空 も桜と溶け合って、僕は薄気味悪い桜色の世界に連れて行かれた。 「大丈夫ですか」 声が聞こえた。高い、が女のものではない。幼い子どもの声だ。いらいらする。 「ほっといてくれる」 感じた不快さに従って、伸びてきた腕を振り払いながら、声の主を捜すが、眩暈がさらに酷くなる。見えない。 「でも、あなた……」 「ほっといてって、言ってるでしょ」 見えない。 気が付くと、酷い眩暈は去っていて、僕は見慣れた自室の天井を見ていた。 ニ 作話トップ |