『ヘブンリィ』



 沢田綱吉の薄茶色の髪を、落日が黄金に似た色に染めていた。
「こんにちは、ボンゴレ」
 驚いて顔を上げ、更に驚く。予想だにしなかった人物が立っていた。
「……六道、骸?」
 奇妙な髪型、左右色違いの瞳、大人びた美貌を無理矢理押し込めたカーキ色の学生服。 わざわざ疑問形でその名を呼ばなくても、どこを取っても印象的かつ個性的なその姿を 他の誰かと見間違うはずがない。
「はい」
 それでも聞かずにはいられなかった綱吉に、六道は屈託なく頷く。 平等に射す光が、後ろから彼の輪郭を輝かせていた。
「ここ、座ってもいいですか」
「はあ」
 沢田綱吉は了承する。逆らうのが怖かったのだ。
こちらが勝ったとはいえ、彼が流させた血の恐怖は、綱吉の中でいまだ生々しい。
 反抗しなければそれはそれで恐ろしいことが起こりそうだったが、まあいいなるようになる だろう、という投げやりな前向きさが彼を納得させた。
「あの……また、脱獄して来たんですか」
 惨劇のしめくくりは後味の悪いハッピーエンド、ラスボスの六道はつかまってめでたしめでたし だったはずだ。
 夕暮れのプラットホームに居ていい道理がない。綱吉と同様に正面から夕陽を見た骸は、まぶしそうに目を眇め、 綱吉の方に首を曲げて、ほっとしたように緩めた。西日がきついですね、と言って微笑む。
「いいえ。とんでもない。釈放ですよ」
 どうして、と言おうとして綱吉は言葉を飲み込んだ。
「あなたのおかげです、ボンゴレ」
「俺!?」
 目を見開いた綱吉の脳裏を、小さな黒衣がよぎった。それの口元はにやりと笑んでいる。 自然と眉間に皺が寄る。
「僕の中にあった何かを、あなたがきれいさっぱり燃やしてくれたから、出してもらえたんです」
 しかし、予想外の男は予想外の言葉を口にした。意味もわからない。
「何かって、そんな曖昧な……」
 しかし、沈黙が何故か不安を呼んだので、綱吉はとりあえず思いついたことを口にした。
「何しろきれいさっぱりなもので、思い出せないんですよ」
 骸は笑ったままそう言った。
「大切なものだった気も、するんですけどね」
 だがその目に深刻な影はない。
「復讐者から解放されるくらいなんだから、きっと重要なものなんでしょうね……」
 相手が六道骸だとはいえ、申し訳ない気持ちになる。相手がさっぱりした顔をしているもの だから、その分余計に。
「ボンゴレは相変わらず優しいんですね。それはちゃんと覚えていますよ。いいんですよ」
 綱吉の沈黙をやわらかい言葉が埋める。
「その何かが消えた分、とても心が軽くなりました」
 彼は至って上機嫌で、今日はいつもより一層笑い続けている。
「だから僕、もうどこへだって行けるんです」
 見渡す限り2人しか居ないのに、骸は顔を近づけ声を潜めて言った。まるで子どもの内緒話だ。
「今日はそのお礼と、お別れを言いに来ました」
「お別れ?」
 綱吉が目を丸くすると、骸は満足して顔を離した。得意げにこう言う。
「ええ。だって僕、どこへだって行けるんですよ」
「そう……じゃあ元気で」
 餞別の言葉を待っていたかのように、都合よく電車が来た。ああ、電車です、 僕はあれに乗るんです。
骸は正面を向きなおして、うきうきと立ち上がった。
  「ええ、あなたも。あなたのこともそのうち忘れてしまうでしょうけど、 今までとっても楽しかったです」
「そう、良かった」
 振り向き、光を背にして立った骸の外縁は、さっきより赤い光に縁取られている。 綱吉はそれを静かな心で眺め、美しいと思った。
「さようなら」
 電車のドアをくぐってからくるりと振り返った骸は、また会いましょうとは言わなかった。 空気の音を立ててドアが閉まる。どこへでも行く割には、ごく普通の電車だった。
「これでよかったのかな、それとも悪かったのかな」
 手を振りながら遠ざかる姿を見送って、ふと綱吉はつぶやいた。 静寂が戻ったプラットフォームは、思索に耽るにはもってこいの場所だ。
 しかし綱吉は、ほんの少し考えてから、溜息ひとつに乗せて 疑問を捨てた。俯いた頭を華やかな色に染める、斜陽の角度はほとんど変わっていない。 ほんの一時の、あっけない邂逅だった。
 夢のように鮮やかな、だがありふれた夕暮れが続く。




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