「血管だったら僕、いつまでも触っていられます」
 好物はハンバーグです、甘いものは別バラです。そんなありふれた嗜好を語るような口調で、六道は言った。 その手はいとおしげに血管をなぞり続けている。時どき皮膚越しに押したり、指でつついたり している。
 血管の持ち主である綱吉は、絶え間なく背筋を走る悪寒が本物の冷感に達してしまったらしい。 息を殺して凍り付いている。
「いい血管ですよ、弾力とハリがあって、こぶもなくてまっすぐです」
「はあ、そりゃ、どうも……」
 それでも綱吉は律儀に礼を言った。
  「クフフ。柔らかくて押したら逃げるようなのが危ないんですよ」
 ようやく手を離して、六道は黒いゴムのチューブを手に取った。
「さあ、前フリはここまでにして、そろそろ一思いにやっちゃいましょうね」
 急にナースの顔に戻って、六道が言った。
「なんの前フリだったのか全然わかりません」
 沢田綱吉が律儀に突っ込むと、何が嬉しかったのか六道看護師はくふくふと湿った声で笑った。



「ほ、ほんとにするんですか」
 ひょろ長い綱吉の腕の、肘の内側あたりをアルコールを染みこませた綿が拭く。すでに 正視できずに顔をそむけながら、往生際悪く聞く。
「はい、もちろん。駄目ですよー沢田さーんー、 お医者様のことをよーく聞いていい患者でいないとービョーキなおりませんよー」
 彼自身にしか理解できない独特の節回しで歌い上げながら、体を左右に揺らす。沢田綱吉は、叫びそうになるのを、立場を慮って堪える。 「こ、殺したい…」
「告白ですか?!」
「告発したい」
「情熱的!」
「えー、あー、うー」
 何を言っても無駄だ。何度目かの悟りを開いた綱吉は、スピーチ前のオッサンのような声を出した。 『ところで』や『それはさておき』『もう一生一言もしゃべるな』などの、便利な接続詞が思い浮かばないほど疲弊していた。
「……こういう場合って、『では僕がオリジナル極太お注射を肛門に』とか言い出す場面なんじゃないんですか、フツー」
 フツーって何?と根源的だがそれだけに虚しい問いを、綱吉の心の柔らかい部分が発したが、やむなく無視した。
 六道骸は、強制終了をかけても動かないほど凍りついた。
「……情熱的!!」
 嵐の前の静けさだった。野生の獣のような敏捷さで、六道はベッドの上の綱吉に飛び掛った。
「いや、してって言ってるんじゃない! じゃないから!」
 一瞬でマウントポジションを取られた綱吉は、意外と冷静にめくれ上がったスカートを見ないように しながら、骸の小さな顔を掴んで力一杯押し返した。
「ぎゃあ! 舐めた! 舐めた!」
 逆に押し付けられた手のひらをぺろりとやられて、皮膚が総毛立つ。 綱吉の六道を見る目が、変質者を見るものから未確認生命体を見るものに変わる。
「寄るな、触るな、もう息すんな! 骸がうつる!」
「僕って空気感染するんですか?!」
「うつるー! 人類が総骸に!」
「人をゾンビみたいに言わないで下さいよ」
 くふ。苦笑の気配がして、突然押さえつける力が抜けた。
「えっ? あれ?」
 呆然と綱吉が見上げると、六道が穏やかに笑っている。
「……駄目です、やっぱり。できません」
「え? あの、こう言ったらまた余計な穴、じゃなくて墓穴を掘られ…掘る気がするんですが、どうして……?」  持ち前の諦めのよさと順応力で、すでに事態を受け入れかけて俺今日パンツどんなの履いてたっけ? などと考えていた綱吉は、驚いた。
「今日、勝負パンツじゃないんで」
 六道は舌を出して笑った。白皙の頬に紅葉が散って、どこか照れくさそうだ。
「……………へえ、そういうの、あるんだ…………なんというか……やっぱりね」
 綱吉は魂が出そうだった。ボタンが全部弾けとんだ寝巻きの前を閉じる余裕もない。
「ええ」
「普通パンツの日でよかった……」
 綱吉は、普通のパンツに真摯に感謝した。
「え? いいえー」
 が、六道は笑顔で首を振る。横にだ。
「え、だって、勝負パンツじゃないって……普通パンツと勝負パンツ以外に何かあるんですか?」
「いいえ?」
「……?」
 綱吉が無言で首を傾げたので、六道骸は口の中に唾が湧いた。
「履いてません」
「ぎゃあああああああ!!!!!」
 途端に綱吉が逃亡を謀って暴れ出す。
「あら、イキのいい」
スカートのめくれあがった生の太ももで、きゅっと締めて 押さえ込み、恐怖で綱吉が静止した瞬間にさっき湿らせた場所に手早く針を差し込んだ。
「あ?」
 痛みを感じるまもなく、薬液は綱吉の体内に消えていった。入ったときと同じ素早さで針が抜かれ、 血が滲みだす前にアルコール綿が押し当てられる。
「ね、うまいでしょう、僕」
 綿をテープで貼り付けながら、六道が聞いた。
「う、うん」
 あっけに取られたまま、綱吉は何度も頷いた。
「全然痛くなかったでしょう」
「うん」
「優しいでしょう?」
「……うん」
「しかもちょっと気持ちよかった?」
「いやそれはないです」
 曖昧さをまったく含まない表現でクールに否定する。
「残念です……くふふ」
 口とは裏腹にあっさりと綱吉の上からどくと、ベッドからも下りてスカートを直す。
「じゃあ、沢田さん、安静にしてくださいね。 ゲームして夜更かしちゃ駄目ですよ」
 まっとうな小言を言って、片付けを始める。綱吉が蹴飛ばした毛布をかけ直すのも忘れない。
「は、はい……あの」
 寝ぼけたような声で、綱吉は去ろうとする六道を呼び止めた。
「はい」
「ありがとうございました」
 一瞬きょとんとした後で、無言でにこりと笑う。
 そして、六道骸看護師は横開きのドアの向こうに消えた。
「……」
 綱吉は肺の中の空気全てを搾り出す深い深い溜め息を付いて、再びベッドによりかかった。一人っきり の病室は、あたりまえだが静まり返っている。まさに嵐の後の静けさだ。急に寂しいような不安なような 心もとない気持ちになって、綱吉は閉ざされたドアを見た。
 去り際に突然、あんな普通に優しい顔をするからだ。今は居ない美人看護師のせいにする。
「ところで沢田さん」
「コロンボ?!」
 突然ドアが開いて、六道骸の顔が半分現れた。赤いほうだった。
「明日、僕夜勤ですので。よろしくお願いいたします」
「のでとかよろしくとか言うな!」
「そのクマさんパンツのままで居て欲しいなー」
「お前どこまで変態の幅が広いんだー!! てかいつのまに見やがったー!!」
 







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