綱吉は恐怖のままに後ずさったが、起こして背もたれにしていたベッドのマットレスに体がめり込む だけだった。
 一部始終を見ていた六道は、一瞬きょとんとした後、さっと青褪めた。
「誤解しないで下さい! 違います。別にお注射するのが好きな訳じゃありません!」
「ですよねですよねですよね!」
 綱吉は激しく同意する。しかし体はマットに張り付いたままだ。
「ええ、もちろん。僕そんないじめっ子じゃあないですよ」
 いかにも心外だと言う風に六道は溜息を付いて、綱吉が驚くほどやさしい顔をした。
「僕、するのもされるのも好きなんです」
 声も出ない。綱吉は再び後ずさったが、当然いっそう背中がめり込んだだけだった。




 がたがた震える綱吉を勝手に聞き手にして、六道は注射について語りだした。
「こう、尖った先端が皮膚を突き破って僕の中に入ってくる時の痛さとか……逆に、僕が入れる瞬間の 、肌が押し返してくる抵抗感とか、入れた瞬間の内側の柔らかさとか……血管の、弾力とか大好きなんです」
 声にならなかった。
 賢明な読者諸氏はすでにお気づきだろうが、沢田綱吉はお注射が大嫌いだった。
「どうしました? 顔色が悪いですよ? ああ、もしかして不安なんですか」
 綱吉はかろうじて頷いた。首が軋みそうなぎこちない動きだった。
「大丈夫、僕うまいんですよ。たくさん練習もしてますしね」
「練、習……?」
 口は災いの元で好奇心は猫を殺すのである。
「ええ。検査や治療は、できるものは身内で練習するんですよ。胃カメラを飲むのも好きです。忙しいのが続くと自分でビタミン剤 打ちますしね! だから僕百選練磨です。苦戦したのは一度だけ、あれは二時間…」
「ききたくありません」
 綱吉は一瞬でそれを学習し、行動した。白衣の天使はいかにも残念そうに眉尻を下げて、 唇を突き出す。綱吉は黙って目を逸らした。
「もうなんでもいいからさっさとしちゃってください。俺は疲れました」
 綱吉は仏教的な諦観を顔に浮かべて腕をまくった。視線はここではないどこかを見ている。
「はーい!」
 途端満面の笑顔になって、六道がベッドの脇のパイプ椅子に座った。剥き出しになった 白い腕に人差し指を乗せて、肘の内側から手首まで撫でる。指の軌跡はランダムな曲線を描いていた。背筋に走った悪寒に、綱吉が思わず 首をすくめる。
「僕ね、お注射も好きですけど」
 綱吉より少し低い位置になった白い顔が、微笑んで見上げている。人差し指は手首の一点に 置かれたままだ。
「血管も大好きなんです」
 指は皮膚だけでなく、緑色に透ける血管を撫でていた。