帰宅の30分前に電話があった。 「後30分ほどで帰ります。お風呂の用意をしておいてくれますか」 「はい」 そのまま電話は切れた。たとえそれが依頼の形を取っていたとしても、骸様への返事は『はい』以外ありえない。だからその時も、何も考えずに俺ははいと言った。 自分で言うのもおかしいが、俺は感情の起伏に乏しいほうだ。表情の起伏は更に乏しい。しかし、そんな俺も、骸様にはいつまでも驚かせられている。(そして、骸様も俺がびっくりするのを喜んでらっしゃるので、それでいいと思う)骸様はすごい人だ。 そしてその日も俺は驚いた。帰宅した骸様は意識の無い少年を抱えていた。しかも、裸の。正直始めは死体か人形に見えた。その異様な風体のこともあったが、骸様の腕から垂れ下がる四肢に意志の色が見えないばかりか、血の気が無く生きているのが疑わしい白さだったからだ。また、骸様は、人間と言えば嫌っているか完全な無関心かのどちらかで、良い人間は死んだ人間だけだとでも思っておられるフシがあるからだ。 生きた人間だとわかったのは、ぶらぶら揺れるがりがりの手首に、ハンカチが縛られ、そこから微かに血が滲んでいたからだ。人形は血を流さないし、死体の手当てはしない。赤白黒のまだらになってしまっているが、白地に黒猫の柄のハンカチには見覚えがあった。昨夜俺がアイロンをあてて、今朝骸様が持っていったものだ。つまり、骸様自らが彼の治療なさったと言うことだ。 骸様は近年まれに見る機嫌の良さだった。骸様は笑顔が地顔だが、滅多に見ない本気の笑顔だった。 「おかえりなさい」 あいさつは骸様が俺たちに躾けた習慣だ。 「ただいま帰りました」 「風呂の準備はできています」 「ありがとう」 更に機嫌が良くなった。よいしょ、と小さな掛け声をかけて少年を抱えなおすと、そのまま浴室に向かう。 「このままだと風邪ひいちゃいますからね。彼、ずいぶん大胆な格好だから」 この人の言動行動にいちいち疑問を感じていては、しもべはやっていられない。 「……そうですね」 だから俺はただ頷いた。 「手伝いましょうか」 「ありがとう。でも結構ですよ。あ、いえ、うそ、うそです」 少し慌てたように骸様は仰い、悪戯っぽく笑われた。 「ドアを開けてください」 俺がドアを開けると、骸様は少年を抱いたまま浴室に入ってしまわれた。 それから一時間後。 内心少年の着替えを気にしながらリビングのソファでじっとしていると、浴室から骸様が出てきた。バスローブ姿で、青い髪が濡れている。足元は裸足だ。件の少年を洗うついでに自分も入浴したらしい。そして彼はというと、まだ意識は戻らないようだった。相変わらず骸様の腕の中で、人形のように身動ぎ一つしない。 どこに寝かせるのだろうと思ったが、骸様は大事そうに抱えたまま、自室に入ってしまった。 作話トップ |