『朝』




気が付くと、六道骸にしがみついてうずくまっていた。

 ああ。
 まだ生きている。溜息を付くと、肺が軋んだ。それだけではない。体中がひどく痛む。
 柿本千種は満身創痍だった。
 徐々に五感が回りの情報を集め始める。暗い。視界はぼやけている。だが眼鏡は無くさなかったようで、安堵する。自分が身を預けた人と、向こう側に、似た様な姿の淡い色の頭がぼんやりとだが見えた。焦げ臭い匂い、生臭い匂い、炎と鉄錆の匂い。お馴染みの。右半身と左肩に触れる、暖かさ、ぬくもり、体温。自分を抱いている人の熱。
 ああ。
 まだ生きている。生きているのだ。人を殴って、殴られて、傷つけて、傷つけられて、殺して、なんとか殺されずに生きている。柿本千種は再び息をつき、再び目を閉じ、目の奥に生まれた熱さを封じようとした。
 その時だった。
 千種は骸が何かつぶやいているのに気付いた。目を閉じねば気付けないほど、かすかな声だった。
「骸さま……?」
 返事は無い。言うことを聞かない体を動かして彼の横顔を見ても、彼のうつくしい顔はどこか穏やかで、ずっと遠くを見る目をしている。口元だけが微かに動いていた。珍しいことではないので、千種は黙って耳を澄ましたが、意味はわからない。彼の知る言語ではなかった。そして、耳慣れない音の一つ一つに、旋律がある。
「……歌?」
六道骸は歌っていた。
「こもりうただ」
 第三の声が割り込んだ。
「なんだ犬、生きてたの」
「ひっでー。柿ピーひっでーの!」
「お前、子守唄なんかひとつも知らないだろ」
「へへ」
   骸は歌い続けている。たしかに、子守唄と呼べそうな、穏やかで、静かで、どこか哀しみのこもった歌だ。死体の山の中で、自分たちを両手に抱えて、六道骸は歌っていた。
(この人は狂ってる)
 閉じたまぶたの合わせ目まで、底のほうにあった熱さが上がってきている。薄れ始めた意識がその向こうに光を感じていた。夜明けが来たのかも知れない。そういえば、ここはとても寒い。夜明け前が一番暗く寒い。自分を優しげに抱く、この狂人のあたたかさが唯一絶対のものだと、改めて錯覚しなおすには充分だ。
最悪の今日を送り、最低の明日を迎える為に、柿本千種はうたかたの休息をむさぼることにした。




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