ランチタイム最後の客を送りがてらのれんを仕舞いに出て、山本は愕然とした。 「お前……」 ガードレールにもたれかかっていた男がにっかりと笑う。 まったく変わらぬ姿で十年ぶりに沢田が立っていた。 『蝙蝠とラプンツェル』 忙しい昼食時が終わったばかりの店内にはまだ人の気配が残り、いつでも染み付いて取れない寿司の匂いがしている。 「もうちょい早くに入ってきてくれりゃスシ握ったのによ。今からでもどうだ? 夜の分のネタなら……」 「いや、いい」 そこで会話が途切れた。沈黙が二人の間を流れる。寿司屋のカウンターに並んで座って、男達はしばらく自分の指先だけを見た 「……久し振りだな」 そして、流れた時間を話題のテーブルに載せたのは山本だった。 「ああ。本当にな。八年……もっとか?」 沢田はなんでもないことのように軽く応じる。昨日別れたばかりのような気楽さに、山本は思わず苦笑した。 「十年だ。ったくかわんねえな、おめえはよ」 軽口に歯を見せて笑う姿も、記憶にあるままだった。 「……なあ、山本」 「謝んのはナシだぜ」 「……そうか」 ひとつ頷いて、沢田は再び黙った。 「困った。言うことがない」 それは単なる十年の空白ではなく、あまりに深い隔絶がもたらす沈黙だ。 「……本題に入ればいいだろうがよ。ぐずぐずして、おめえらしくもない」 言いながら、山本はすでに沢田の突然の来訪の理由を悟っていた。この男が現れた その時から、わかっていた。 「だな」 そう言うと、沢田は観念して作業着のポケットに手を入れた。取り出し た小さな何かをカウンターに置く。 山本は黙って、深い深い溜息を付いた。溜息と一緒に、活力や気力といったものが外へ逃げていく ような気持ちがした。 「ハーフボンゴレリング……」 その古ぼけたいびつな指輪を、山本は確かに知っていた。 「やっぱ、予想ずみか」 「そりゃあな」 軽く笑ってみせても、相対した沢田の顔は暗い。 「山本……」 「謝るなっつってるだろうがよ。あいつが、俺の息子がおめえの息子と……ツナ君と一緒に いるのは、あいつの意思だ」 山本剛は言い切った。 「女房の腹ん中に武がいるのがわかって、、足洗わせてくれつった時に、九代目が聞き入れたこと自体 奇跡にちけえ温情だ……なんにもしらねえお前の奥さんを影ながら 見守るくれえ、喜んでやらせてもらおうと思ったんだぜ、俺は」 しかし、その顔には隠しきれない苦渋が滲む。父親の顔だ。沢田家光も顔をゆがめる。 「……山本」 「しつけえな。 現役引退してるからって馬鹿にしてくれるんじゃねえ。こっちは奈々さんがみごもった時に、もうこんな日の 覚悟はしてたんだ」 「違う」 人を支配する例のあの声で、沢田は山本の言葉を遮った。 「親父ってのは、自分の出来なかったことを息子に押し付けるもんなんだなぁ……お前と俺に同い年の 子どもができた時……俺は嬉しかったんだぜ」 顔を上げた剛の目に、苦笑する家光が映った。そこには、この男に似合わない自嘲の色がある。 「俺は勝手な男だからな。俺とお前がやったみたいに、うちのツナとお前んとこの武くんが、 馬鹿みたいなことで大騒ぎして、くだらねえことで 安らいで、途方も無い夢を追っかけるのを夢見たよ。俺は、お前の息子がこの薄汚い世界に引き釣りこまれるの を想像して、笑ったんだぜ」 一気に言って、目を閉じる。 「家光……」 いつのまにか、剛はかつての親友の名前を口にしていた。十年来けっして呼ぶことの無かった名は、驚くほど すんなりと声になった。 「すまん」 口元にただ笑みの形だけを残して、常の快活さが想像できない声で家光は謝罪を繰り返す。 「お前とお前の家族はもう二度と巻き込まないと言いながら……それは本心だ。けどな、 まったく逆のことも考えたんだ」 「家光……俺もな」 「山本?」 「……武とツナ君が、俺とお前みたいになれば、一度消えちまったおめえとの縁が、再びつながるって思ったぜ」 「……剛」 「しっかしあいつはちいせえ頃から球遊びにばっかり熱中しやがって。小中と一緒だったのに、顔も知らねえでやんの」 「がっかりしたぜ。ったく、誰の血なんだか……だけどよ、それでほっとしちまったのも、確かだ」 「……」 「……このままいきゃあ、こいつは光の当たってる側の世間だけ見て暮らせるってな……」 家光は黙って剛の言葉に耳を傾けている。 「でもな、あいつは出会っちまった……まさに俺がおめえに出会ったみたいに、な……出会っちまったんだよ。 だから……しょうがねえ。それでよ、やっぱし、嬉しいぜ」 親友の静かな顔は、家光にとって見知らぬものであった。改めて、十年という時間が重い。 「だから、もう謝んのはよしとくれ」 「いや」 「ありがとう」 「……こっちこそだ。不肖の息子だがよ、よろしく頼まぁ」 「こちらこそ、息子を頼む」 なんのわだかまりもなく、とは行かなかったが、男達は笑いあった。 「おめえこそどうなんだ。おめえの一人息子……ツナ君、おめえに全然にねえでほっそっこいかわいらしい子じゃないか。 あんな子を、マフィアのボスになんかしちまっていいのか」 「ああ」 一瞬の迷いも無く家光は言い切った。 「……おめえは、ほんとに変わらねえな……どうやったらそんだけ迷い無くしてられんだ」 半ば畏怖の混ざった感嘆を込めて言うと、家光は真顔のままこう言った。 「迷ったら、死ぬ」 一瞬怯む剛を見据えて、更に言葉を重ねる。 「俺たちの世界は、そう言うもんだ。違うか?」 「……けっ、違いねえや」 顔を逸らして眉根を寄せる親友の顔が、一度見た切りの息子にそっくりなことに、家光は気付いた。 「でもよ、俺があの時、剣を捨てたから、あいつが剣を握ることになったんじゃねえか……そう思うと、眠れねえこともある」 「明日もでかけんのか。 球遊びは休みだったんじゃねえのか」 「野球だっつってるだろー。明日は部活じゃなくて友達」 「部活の子か」 「いんや。クラスメイト」 「初めてじゃねえか」 「んー? そうだっけか? 俺って人気者なんだぜ」 「なんて子だ。お前のはじめてのちゃんとした友達だ、父ちゃん知りてえな」 「んなの知ってどうすんだ? でもまー、うちにも来るかもしれないよな」 「おう。お前の友達なら父ちゃんいつでも寿司握るぞ」 「ははは。そー言っとくわ。……沢田綱吉。ツナっつうの」 「父ちゃん?」 |