沢田綱吉の能力について




『いわしのとむらい』


ガラス玉のように静かな目だ。

顔に向けて打ち込んだ拳を紙一重でかわして、実はこちらが本命だった蹴りを受け流し
ながらも、その瞳には怒りも興奮もなく、おおよそ感情と言うものは見えない。対峙し
た者がうちに隠した真実を見つけ出す、善も悪もない、ただ強いだけの力があるだけだ。
ガラス玉のように静かな目だ。その静かな目が、男をじっと見ている。触ると冷えてい
るのではないだろうか。凪いだ表情の沢田綱吉に殴り飛ばされながら六道骸は思った。
「本当に素敵な目です」
 強かに背中を壁に打ちつけて、上体を折り曲げて咳き込む。何を考えているのか、綱
吉は追ってこない。相変わらず黙ってこちらを見ている。
口の中に溜まった血を吐き出す。薄汚れた床に落ちる薄汚れた血と唾液を見て、這い蹲
った姿勢のまま骸は声を上げて笑い出した。
「クフフフフフ。痛いです」
 恍惚に似た甘い表情で、綱吉がつけた傷をなぞる。
「ボンゴレの血。その目。すばらしい。すばらしい。すばらしいボンゴレ。かわいそう
なボンゴレ」
「……何が言いたい」
 ほんの少し綱吉の眉が動いた。ゆっくりと骸に歩み寄る。
「どうしてわざわざお聞きになるのですか?僕の真意など、あなたの良い目で見抜いて
しまえばいいでしょう。ああ、そうですか、そうやってあなたは自分を守って来たので
すね」
 骸は間近から少年を見上げた。しっかりと立っている綱吉も、傷だらけで血で汚れて
いるが、表情は穏やかでまるで痛みを感じていないかのようだ。
「おまえの言うことはわけがわからない」
 しばらく無言で女のように綺麗な、今は腫れて血で汚れた顔を眺めてから、彼はぽつ
りと言った。
「そう、その愚鈍を装う姿です!その目、その直感は、確かに最強の武器だ。しかし、
その力はどれほどの苦痛をあなたに与えるでしょうか?嘘や、裏切りや、本人すら気付
いていない欺瞞が見えることは、悲しいでしょうね?知らなければ良かったと思える真
実って、真実の内の何割でしょう?あなたはそれらに耐えられるのでしょうか?」
「……」
「あなたはずっと無意識に自分を守って来た。外敵からではありません。そんなものは、
どうというほどのものでもない。あなた自身の能力からですよ。自らも騙すほど完璧に、
平凡に擬態し、臆病を課して、必要最小限にしかその力を使わないことで、あなたは自
分が自分の力に潰されないようになさっていたんではありませんか」
「……」
綱吉が相槌どころか頷きすら与えなくとも、骸は構わず饒舌に語り続けた。
「かわいそうに。あなたの歩まれる闇の世界では、あなたの力は他のどこでよりも役立
ち、比例してその分あなたを苦しめることでしょう。あわれなボンゴレ10代目に、栄
えあれ!」
「俺はマフィアにはならない」
 初めて綱吉が主張らしきことをした。
骸は目を輝かせる。色違いの目は血走っていて、眦が裂けるほど見開いた瞳に異様な彩
りを添えた。
「クフフ、その頑なな甘さすら、自己防衛なのかもしれませんね。まったく、あの死神
はどんなモンスターを育てようとしているのやら」
「俺を買いかぶりすぎだ。おまえだけでなく、みんなも、リボーンも」
「クハハハハ!!今までずっと、あなたはそうやって自分をも騙して平穏な生活をして
いたのでしょう!しかし、もはやこれまでです」
 そこで一旦骸は言葉を切って、痛ましげな表情を作った。
「世界はあなたに気付いてしまった!」
 舞台役者の決め台詞のように、声は朗々と響いた。観客はもちろん綱吉のみで、大仰
なそぶりにも、呆れすらしない。
「だれもが、あなたを求め、疎み、愛し、憎み、妬み、そねみ、恨み、期待し絶望し希
望にし崇拝し狂信し狂喜し狂気してこぞってあなたに手を伸ばすでしょう。いえ、もう
いくつかの手があなたに触れているのではありませんか?死神すらおまえを愛したと言
うのか、でしたか?ああ、傑作だ!!もはや無関心で優しい世界はあなたとは縁遠いも
のだ」
「言いたいことはそれだけか」
「いいえ……」
 顔をかくりと仰のけて、手を伸ばす。綱吉に触れようとした。そう、いつのまにか彼
らはそれほど近くにいた。
「ねえ、ねえボンゴレ」
 二人の赤い体液で汚れた指を、綱吉は拒まなかった。それは二の腕に触れ、自分がつ
けた傷に触れる。さすがにびくりと震えた体を宥めるように無傷の肘をさすり、そのま
ま降りて、自分を殴って傷ついた、手の甲の尖りを包んだ。再び体が震える。綱吉の唇
から小さなうめきが漏れた。その唇も切れて血を流している。
「ああ、かわいそうに……痛かったでしょう。ひとを殴るのは」
  慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「つらいでしょう?ねえ、あなたが、あなた自身とあなたの能力に疲れたら、僕にくだ
さいね」
甘く滴るような声で、六道は囁きかける。
「いやだ。そんな日は来ない」
 静かで冷たい声が、ばっさりと切り捨てた。
「クフフ、手厳しい。いつでもいいんですよ。言ってくださいね。もちろんタダとは申
しません。代価には、死よりも甘い眠りをあげる」
「そんな日は来ない」
 まったく同じことを、まったく同じ音色で繰り返す。
「眠ってしまえばいい。そうすれば、あなたは楽になれる」
「どれほど苦痛だろうと、俺は俺で居たい」
「……さすが、ご立派なお言葉です。」
「しかし、自分を憎むことに耐えられる人間など、いません」
 六道骸は、自分を見据える無機質な瞳をまっすぐに見返した。
「骸」
「……はい」
 彼の声で呼ばれる名を呼ばれるだけで、背中を悪寒とも快感とも判別できない痺れが
走る。跪いて許しを乞いたい欲望と、その頭を掴んで地面に擦りつけたい願望の両方に
苛まれる。
「それはおまえのことか」
「ああ……」
 六道骸は、声にならない声を上げた。
「本当に、……あなたはすばらしい…最高だと言っていい。僕のものにもせずに、今す
ぐここで殺してしまいたいほどです」
  何故かそこで彼は笑った。ほんの少し、透明な目を細めて。
「そうか」
 今度こそひれ伏して、その爪先にキスしたい。さすがの彼も驚くだろう。そうすれば、
このガラス玉にもひびが入って、あの、弱くて臆病ななまぬるい熱が戻るかもしれない
と、六道骸は都合のいいことを考えた。



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