「あ」
 小さな声と共に、獄寺隼人の体がぴくりと動いた。
「どうした」
 すぐそばに居た彼の主、沢田綱吉が声をかける。主を見上げて、男は喉で笑った。主に対するものとしては 不遜な態度だが、裏腹にその目は熱っぽく輝いている。それはどこか、視線のやり場に困るような 危うい色を含んでいた。
「すいません。へましちゃいました」
 悪いとは思っていないのがわかる軽い口調だ。彼の主は目線だけで先を促した。
「あちらさんに混ぜてた僕の端末、見つかっちゃいました」
 それは綱吉が密かに待ち望んでいた言葉だった。男は、日頃温厚で穏やかな主が会心の笑みを浮かべそうになり、慌てて顔を引き締めるのを楽しんだ。
「詳しい状況を」
 彼の内心がわかる綱吉は、嫌な顔をして、できるだけそっけなく聞こえるように命令した。 「裏切り者のスパイだと思ったようで、今から拷問にかけるみたいです。クフフ、怖いですね。さあ、  どういたしましょう?」
「リアルな嘘を」
 綱吉の言葉は簡潔だ。
「どんな?あなたの家庭教師が実は30過ぎだったとか?」
「マジで?!……その調子だよ、骸」
 一瞬で我に返って、綱吉はとっておきの爽やかな笑みを浮かべた獄寺隼人、の体に居座った六道骸をねめつけた。
「怖いです、ご主人様」
 何がうれしいのか、男らしい鋭利な美貌を崩しきった笑顔を浮かべるが、綱吉にとっては獄寺の地顔に等しい表情だった ので、特に痛痒は感じない。
「なら、ふざけないで」
「はい。お友達が裏切って、こちらに付いたと?」
「そう。今夜合流した時に、寝首をかこうとしていると。わかっているならさっさとしてください。 お前ならできるだろう?」
 今現在の状況こそ、綱吉が作ろうとしていたものなのだ。喜びを隠せない素直な主の顔を、骸はにこやかに見守る。 誰だって、不機嫌な主人より機嫌のいい主人の方が好きだ。
「ご期待ならば、お答えしたいですが」
「意味のない謙遜は気持ち悪いだけだね」
「ひどい」
「だってお前の得意技だろう。三枚舌の蛇」
「仮にも腹心の部下に向かってそのお言葉……酷い人ですね」
「そんな黒い腹はいらない」
 綱吉が骸に付き合って、下らない軽口を叩くのは、浮かれている証拠だ。深刻な顔を作っても、機嫌の良さは 隠しきれて居ない。
「そんなにせっつかないで、堪え性がないですよ……今、焦らしてるところです。すぐに自白したら、嘘っぽいでしょう?」
 クフフフフ、と獄寺の声帯を使って彼独自の笑い声を立てる。
「場も白けます。ストリップダンサーだってちょっとずつちょっとずつ脱ぐでしょう?」
 骸は、この体の本来の持ち主ならば決して浮かべない、妖艶な笑みを浮かべて言った。筋張った長い指が伸びて、 綱吉のシャツの袖口から二の腕に忍び込もうとする。いくら妖艶でも言動と行動はセクハラ親父同然では台無しだ。
「例えと行動がいちいちいやらしいんだよ!」
 無駄のないつっこみと共に、綱吉は平手で不埒な手を打った。やたらといい音が響く。獄寺の体なので、遠慮もない。
「おや、痛い」
 わざとらしく痛がりながらも口元には笑みが浮かんだままだ。赤くなった手の甲にいとおしげに頬を寄せる。
「ヒバリさんもそろそろ持ち場についてもらわないとね」
 見てしまった綱吉は視線と話題をそらした。
「あの男がまた、実働部隊なんですか?暖かいお部屋であなたとお茶を楽しむのもいいけれど、僕もたまにはおんもに出ないと なまっちゃいます」
「出てくってお前、どうせ人の体だろ?」
「な……そうですけど。でも彼ばっかり、ずるいです」
「認めるのかよ。しょうがないんだ、先輩は定期的に群れを噛み殺さないと、フラストレーション状態になっちゃって大変なんだから」
「そんな狂人、よくもまあ飼っておいでですね」
 あきれた顔をした骸を、綱吉は絶句してまじまじと眺めた。
「お前が言うか?」
「うん?どういことです?」
 獄寺の顔できょとんとしている。綱吉は絶妙な半笑いになった。
「彼、ウサギみたいですよね。名前は鳥なのにね」
「はい?!ヒバリさんが?」
「はい。今思い出したんですけど、なんでもある種のウサギには変わった習性があって、一定以上個体数が増えるとそれこそフラストレーション 状態になって死んじゃうんです」
「へえ?飼育場なんかの過密状態でのことでなく?」
「ええ、自然界で」
「へえ」
 あくまでも表面上は和やかに、埒もない雑談が続く。骸のトリビアに感心しながら、綱吉は空になった湯飲みに玄米茶をついだ。 いい年した男が2人揃って何故ノンアルコールかと言うと、これでも2人とも仕事中であり、骸に至っては山場を迎えているからだ。
「それにしても、あなたって悪い人ですね」
 まず抗争するファミリーのメンバーと、骸が「契約」しておき、それをわざと捕らえさせて「偽の真実」を自白させる。次に相手の 内部に不和と争いが生まれ、弱ったところを一網打尽にする。骸の特殊な力を、あさましいほど最大限利用した戦術だ。
「……人の心の疑念と不信を見つけ出し、それに水を注いで育てて上げる……冷酷、悪辣、卑怯。おまけに自分の血は出し惜しみなんて、 けちです」
「はいはい。俺は最低最悪の男ですよ」
「褒めてるんですよ。僕の大好きなタイプの作戦です」
「あ、効いた。その台詞が一番効いたよ。骸さんに褒められるのって人間失格になった気分」
「僕はあなたにそんな意地悪なことを言われると欲情しますけどね、あ、今、端末の爪が……」
「言わんでいい。どっちも言わんでいい!」
 ほう、と溜息を付き、つれない態度もたまりませんと頬が薔薇色に染まる。獄寺の頬がだ。
「すげえ、この人何言っても喜ぶ!どうしよう!」
「好きな人に貰えるなら、それがどんなものでも、たとえば苦痛であれ絶望であれ、嬉しいものなのですよ。愛は偉大です」
「とりあえず愛に謝って。それからどんな治療がいいか考えような」
 辛辣になればなるほど喜ばれるのはわかっているのに、つい惰性でつっこんでしまう綱吉を救うように時計の鐘が鳴った。
「ああ、もうこんな時間か……今週もいつのまにか終わっちゃったよ」
「ボンゴレ、失礼ですが一週間の始まりは日曜日では?今日は月曜日です」
  「俺らの一週間は月曜から始まるの。そうだろ?」
「ああ、なるほど」
 週の始めから徹夜仕事になった便宜上の部下をねぎらう為に、綱吉は手ずからお茶を入れてやった。





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