テーブルマナー・ドレスコード・冠婚葬祭その他四季折々のTPOに応じた礼儀作法エトセトラ、「一般常識」を一通り彼に教えたのは他でもないロイだ。
 心の底からうさんくさそうな顔をしたエドワード・エルリックとゼッタイ役に立つから騙されたと思って、っつってお前本当に騙すだろ、何を言うのだ私がたとえ一度でも君を騙したことがそれがすでにウソだっつーのというような小一時間の討論を経て(その後も時々再開しながら)始めた「勉強会」だったが、さすが天才と言うべきか、一旦開始すると飲み込みは早かった。一流レストランにて、洒落た皿の上のメインディッシュを上品に切り刻む姿を見て(なるほど、賢すぎる子供は可愛くないとはこういうことか)と思ったものだ。意地悪のつもりで選んだ真っ赤なリボンタイが普通に似合っていて、逆にロイの方が妙な居心地の悪さを覚えさせられた。
「まだ取れないの?」
「おー」
「見てあげる。ほら、アーン」
「あー」
 兄の口の中を弟が覗き込んでいる。音声だけだと仲の良い10代の兄弟が話しているようにしか聞えない。いや、実際彼らは仲の良い10代の兄弟なのだが。
「うーん、わかんないや」
 弟が首を傾げると鎧ががちゃりと鳴った。
 国家錬金術師には、いや、彼らに限らず人より何かしらを多く持つ人間には、欲望、野心、中には敵意、時には純情な(?)下心など様々な思惑を持つ人間が群がる。将来の幹部を手名懐けたい現幹部、同じ目的の同僚部下、何らかの便宜を望む民間人、枚挙にいとまがない。
 頭が良い癖に行動が直情傾向というなんとなく矛盾したキャラクターのエドワード・エルリックが海千山千の亡者(金、権力、その他色々の)どもの中をどうやって渡っていくのかと柄にもなく心配したものだが、なかなかどうしてそつなく動いているらしい。ロイのレクチャーは結局役に立った。

 そしてロイはしゃんと背中を伸ばした少年が、教本通りに小さく切り取った料理を一口含むとすぐに、なめた笑みを浮かべたのを思い出すのだ。
(このクソガキが)
 その時不愉快と認識した情動は、もしかすると憐憫やその他の何かだったかも知れない。けれどその瞬間は、不快にさせられたお返しをしたくなっただけだった。
「この子にも飲めるような、ノン・アルコールのドリンクはあるかい」
 さあ、どうする、と彼を見れば、予想に違わぬ怒りの表情と目があった。怒るエドワードはいつもにも増して生気に満ちている。
 怒鳴ろうと息を吸い込んだところで食事中は静かに、というマニュアルと、後日ロイ・マスタングに何と言っていじられるかを思いついたらしい。稀代の天才は一度口を閉じて、とても美しく微笑んだ。まさに本日の設定である良家の子息のように、無邪気に上品に。
「やだな、子供扱いしないでよ。僕、もうワインも飲めるんですよ。お父さん」
 それからロイ・マスタングは一度もその三ツ星レストランへは行っていない。ウェイティング・バーのバーテンダーがそこそこ素敵なお嬢さんであったのに、いや、だからこそなおさら行っていない。

「なんでうなぎだったの」
「ばーか、そりゃ土用の丑の日だったからに決まってる、そうだ」
「……何というか、律儀だね」
「旬のものを食べるのが粋なんだと」
「粋って……相変わらずよくわかんない人だねえ」
「ああ、さっぱりだ。江戸っこじゃあるまいしなあ」
「兄さん、シャレのつもりなの?」
「ああ?」
「わかんないならいい」
「そんなに知りたきゃファルマン准尉に聞けよ」
「え?何それ。単語の意味はわかるよ。兄さんばかじゃないの」
「あ?もっぺん言ってみろよコラ」
「兄さんガラ悪いからやめてよ」
兄弟の会話を聞くとはなしに聞いていたロイが、咄嗟に山積する仕事を投げ捨てて席を立ちたくなったのは、わざとに思えるスピードでずれていく兄弟の会話のせいなのか、その前半部分で昨夜の「接待」相手が誰なのかわかってしまったからなのか、大穴で兄弟の間に入り込めないのが悔しかったのかは本人にもよくわからない。
(伊達に大統領直轄ではないのだよヒューズ)
 やるせなく『俺の中のマース・ヒューズ』(常駐)に話しかけつつ、ロイ・マスタング大佐の手は再び止まっているのだった。
「アル、こんな無能ほっといて眠気覚ましにコーヒー飲みに行くぞ」
「だから、寝たら?」
 兄が突然叫び、慌てずあせらず弟が冷静に返した。
「いや、オレはコーヒーを飲む!」
 きし、きしと機械鎧を軋ませてエドワード・エルリックが立ち上がる。それと同時に駆け出して、声をかける暇もなく扉の向こうへ消えた。扉の向こうの喧騒が一瞬入り込み、次の一瞬に力一杯扉が閉められる音にかき消された。
「ああ、ダメだ、徹夜ハイになっちゃってる……じゃあ大佐、頑張って仕事して下さいね。ボクらの分は先に回して構わないですから」
 さりげなくマスタング大佐に釘を刺して、アルフォンス・エルリックも立ち上がった。
「失礼しました」
 扉の前で巨体を屈めて一礼すると、彼も出て行った。兄とは対照的に、しごく静かにだ。
 一人残されたロイ・マスタングは静かになった部屋で耳をすました。重厚な扉に遮られて、あちら側の喧騒は届かない。かわりに背後の窓の向こうから微かに蝉の声が聞こえる。
 そういえば夏なのだった。
 今年は猛暑続きらしい。冷房対策にひざ掛けをした、この前何時官舎に帰ったか思い出せないロイだった。
 サラリーマンの悲哀に浸るロイが実感しようとしまいと、扉の向こうの向こうの扉の向こうには、夏がやって来ている。ロイ・マスタングは山の中から発掘した一枚の書類をうらやましげに眺めた後、エルリック兄弟を夏に送り出すサインをした。







作話トップ


 なんか、表面は軽くてだらだらしてるけど一枚下にはどろどろしたものが、みたいなんが書きたかってんけどあー。
 一巻の対ヨキですげえ落ち着き払ってフルコース食ってるエドからのアレです…ぜってー教育受けてるって!と思いまして。ほら宇宙飛行士は話し方からTVにうつる角度までNASAで教えられるとか、司法修習生はワイロ・接待にまけないよう料亭に慣らされるとか。の。
 エンコーする女子高生(=素人)を見る気分なロイと、その実同伴出勤かアフターのお水(=玄人)エド